戦後50年の1995年に日本の戦時中の行為について歴史的な謝罪を表明した村山富市元首相が、10月17日に101歳で逝去した。
戦後日本の転換点となった謝罪声明
社会党出身の村山首相は、1994年から1996年まで自民党との連立政権を率いた。在任中の1995年8月15日、戦後50年の節目に、日本の戦時中の行為について画期的な謝罪声明を発表。この声明は、その後の歴代首相の対アジア外交の基準となった。
「我が国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」
激動の時代の指導者として
村山政権は、1995年の阪神・淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件など、日本の激動期を指導した。
伝統と革新の融合を目指して
漁師の子として大分県に生まれた村山氏は、11人兄弟の一人として質素な生活を送りながら、夜間の商業高校で学び、後に明治大学を卒業。地域の発展と伝統的価値観の調和を重視した政治姿勢を貫いた。
平和外交の遺産
晩年、村山氏は日本の国際的な立場と地域的なアイデンティティの確立について深い関心を示し続けた。2000年に政界を引退後は、大分県で質素な生活を送りながら、自転車に乗って健康維持に努めた。
